栃木県の中世城郭

よもやま話.  2018から~

 
ここでは、城に関する事柄で、
記録として書きとどめておきたい事を綴ろうと思っています。
過激な表現もあると思いますが「
独り言」ですので、無視してください。
でも、本音です。
      
                          ←私の命より大切な宝物な家族

■目次■
下記記事タイトルを触ってください
。記事までジャンプします。


◆履歴
94◆佐賀・長崎・熊本スタンプ巡り 公開中 
93鹿沼市役所いちご市営業企画戦略課
シカノツノタチ発信局/自分スタイルかぬまにもの申す
 頭にきたので永年公開
92奈良・和歌山スタンプ巡り 公開中 
91茨城県常陸大宮市 小瀬城図面完成   公開中
90茨城県常陸大宮市 小瀬城下図面完成  公開中
89◆茨城県常陸大宮市 小瀬城ツアー  公開中
88◆茨城県常陸大宮市 河内城ツアー その2 公開中
87◆茨城県常陸大宮市 河内城ツアー その1 公開中
86◆定年退職  公開中 
85◆発売開始だ!  永年公開  
84◆いよいよ出版だ  永年公開  
83◆長野県・旭山城その2   改訂 途中ですが公開中 
82◆兵庫県・篠山城    公開終了
81◆兵庫県・黒井城   公開終了 
80◆群馬県・江田城  公開終了 
79◆長野県・旭山城 その1 公開終了 
78◆神奈川県・河村城   公開終了 
77◆京都府・宍人城  公開終了
76◆茨城県・雨引山城  公開終了
75◆千葉県・関宿城  公開終了
74断ったアホ出版社の依頼とクソ野郎 頭にきたので永年公開 
73◆宮城県・多賀城  公開終了 
72◆山形県・山形城  公開終了 
71◆宮城県・仙台城  公開終了 
70◆福島県・二本松城 公開終了 
69◆宮城県・村田城 公開終了 
68◆福島県・三森城  公開終了 
67◆宮城県・仙台城移築城門と利府城  公開終了
66◆第32回全国城郭研究者セミナー「障子堀の新展開」 公開終了
65◆宮城・多賀城 公開終了
64◆三重・伊勢、鳥羽付近の城 公開終了
63◆茨木・桜川市 谷中城    公開終了
62◆東京 第五回 城郭検定   公開終了
61◆茨城 筑西市・下館城  公開終了
60◆火山と石垣の城 公開終了
59◆大分県 ・ 佐伯城  公開終了
58◆地震と石垣の城 公開終了
57◆大分県 ・ 岡城    公開終了
56◆群馬県 ・ 太田金山城 公開終了
55◆大分県 ・ 日出城  公開終了 
54◆大分県 ・ 杵築城 公開終了
53◆小田原城総構え 公開終了
52◆埼玉県 雉岡城 公開終了
51◆福島県 白河城大手周辺石垣 公開終了  
50◆笠間城城門 公開終了
49◆三重県 津城 公開終了
48◆厚樫山の防塁  公開終了
47◆長野県 龍岡五稜郭  公開終了
46◆長野県 飯山城  公開終了
45◆群馬県 沼田城  公開終了
44◆宇都宮市 下田原に新城発見情報 公開終了
43◆群馬県・前橋城 公開終了
42◆愛知県・吉田城 公開終了
41◆岐阜県・加納城 公開終了
40◆岐阜県・兼山城漫遊記3 公開終了
39◆岐阜県・兼山城漫遊記2 公開終了
38◆岐阜県・兼山城漫遊記1 公開終了
40◆岐阜県・兼山城漫遊記 公開終了
34~36◆新潟県・高田城 長野県・松代城、上田城 公開終了
33◆茨城県・萩原長者屋敷1 公開終了
32◆福島県・神指城 公開終了
31◆福島県・会津若松城 御三階 公開終了
30◆茨城県・笠間城2 公開終了
29◆三重県・松坂城 公開終了
28◆下野新聞に・・ 公開終了
27◆福島県・皮籠原の防塁 公開終了
26◆埼玉県・加須市の城門 公開終了
25◆茨城県・古河城 公開終了
24◆福島県 棚倉城 公開終了
23◆兵庫県・但馬竹田城 公開終了
22◆茨城県・水戸城 公開終了
21◆城郭セミナー10 公開終了
20◆群馬県・館林城 公開終了
19◆茨城県・笠間城 公開終了
18◆佐賀県・佐賀城 公開終了
17◆佐賀県・唐津城 公開終了
16◆佐賀県・名護屋城 公開終了
15◆佐賀県・木下延俊陣 公開終了
14◆茨城県・多良崎城 公開終了
13◆福島県・平城 公開終了
12◆福島県・天神山城 公開終了
11◆城郭セミナー09 公開終了
10◆静岡県 掛川城 vol.2 公開終了
9◆埼玉県 天神山城 公開終了
8◆栃木県 黒羽周辺の城館 公開終了
7◆茨城県 笠間城八幡台櫓 公開終了
6◆栃木県 黒羽城下侍門 公開終了
5◆静岡県 掛川城 vol.1 公開終了
4◆群馬県 館林城  公開終了
3◆栃木県 喜連川陣屋 公開終了
2◆福島県 鴫山城  公開終了
1◆茨城県 逆井城 公開終了



◆94 佐賀・長崎・熊本 お城スタンプめぐり2025/08/28-09/02
2025年8月28日(木) 
 茨木空港
今回の旅行で、初めて茨木空港を使ってみた。
これが大正解!
まず、駐車場がタダ。
空港内も人が少なくて、搭乗手続き、手荷物検査もとてもスムーズ。
セイコーマートもあるし、これは、本当に良かった。
  福岡に到着。
まずはレンタカー(スカイレンタカー)を借りる。
6日間でNBOX 27954円。

これが、2万キロくらいの綺麗な車で、本当に快適だった。

福岡城 
  まず向かったのは、黒田長政ゆかりの福岡城。
スタンプ場所の3の丸スクエア前に駐車。

早速出迎えてくれたのが名島門。
石垣とリンクしてない上に、門の向きが反対。
あれ?
と思って調べたら、これは福岡城の物ではなく、名島城からの払下げ品。
3の丸スクエアのために、移築された。
だから、この向きなのね。
  天守台。
いまは発掘調査中で入れない。
福岡城に天守はあったか、無かったかでもめているが、たのむから、つまらない想像の復興天守だけは建てないでくれ!
これだけは言っておきたい。
  下之橋御門と伝・潮見櫓
伝・潮見櫓は本物の潮見櫓が見つかっちゃったので、
「伝」が冠につけられちゃった。
ちゃんと、調査して移築すればよかったのにね。
もうしょうがないね。
  こちらが本物の潮見櫓。
2024年に移されてきた。
本物と言っても、使える部材を使用して、他は新しいものを使っている。

いやぁ、それにしても暑い。
昼食 
  博多と言えば長浜ラーメン。

3の丸スクエアの案内係りの方に紹介されたお店に行った。
中洲まで暑くて行けないので、潮見櫓近くのラーメン店。

うーんぅ、残念!
申しわけないけど、私たちの口には合わなかった。
今日のお宿 佐賀唐津メルキュールリゾート 

この日のお宿は、佐賀唐津メルキュールリゾート。

部屋も広くて、大満足。



翌日の朝。
唐津城を見ながらの朝食。
バイキング形式で、美味でありました


 
 
部屋から見える松浦川の眺めは最高。
ちょっとバブリーな感じもあるが、バーや風呂上がりの飲み物も無料だった。

2名朝食付き 18950円
 2025年8月29日(金)
唐津城
  今日は朝から唐津城に来た。
2010年にも来てるので、ココはスタンプを押すだけ。
そのまま、ソッコーで名護屋に向かう。
 名護屋城
  言わずと知れた名護屋城。

ここも2010年に来ている。
スタンプだけ押して立ち去っても良かったが、
何しろ暑いので、佐賀県立名護屋城博物館で一休み。

でも、やっぱり天守台までは行こうということになった。
  また来たどー。
久しぶりィ。

思わず天守台の石碑をハグ&キッス。
こんなとこ朝鮮出兵した大名たちに見られたら、
「おまえ、ふざけてる」って言われて打ち首だろな。
  しかし、名護屋城の石垣の石は大粒。
搦め手口の鏡石はホントに大きい。
破城されてなければ、すんごい城だった事が容易に想像できる。

さ、名護屋はこの辺にして、呼子に行こう!!
 昼食
   今回のメインイベント。
呼子のイカ!!

ここのイカの生造りは、レベルが違う。
それは、2010年に気が付いた。
それで、また来ようと言う事になっていた。

2010年に訪れた「いか本家」さんは、残念ながら廃業された。
そこでやってきたのが、「かべしま」さん。
眺めも抜群です。

   イカの盛り合わせ、3500円。
2回目だから、初回より感動が薄いかも・・・・
とおもって、口にしてみた。

と、とんでもない!
うまーーーーーいい!!
このシコシコ感、甘味、透明感。
全然美味い。
感動、感激、あめあられ。

初回より感動したかも。
   余ったイカの部位を天ぷらにするのがここでのお約束。
これが、また
うまーーーーーいい!!
こんなに柔らかいイカの天ぷら食べたことない。
ほんと、美味い、うますぎる!
   美味しいイカのあとは「風の見える丘公園」へ。
昔行った、「いか本家」と呼子大橋が見えます。

良い眺めです。
平戸城 
  美味しいイカの後は、平戸に向かいます。
画像は平戸大橋。
これを渡れば、平戸城はすぐ。
  平戸城大手門です。
結構、遺構が残ってるんだな。
  平戸城で唯一現存しているという北虎口門。

  まあ、お決まりの復興天守とも撮影してきました。
しかし、結構よく残っているので、図面が描きたい。。。
山鹿流の縄張り、って書いてあったけど、
どこが山鹿流なんだろな?
素行ちゃん、おしえて!
今日のお宿 佐世保グリーンホテル 
  今晩のお宿は、「佐世保グリーンホテル」。
所謂、普通のビジネスホテル。

改装したばかりで、綺麗なんだけど、なにしろ駐車場が分かりつらい。
左写真背後が駐車場。

翌日の朝食はなんと、生簀の前。
これは初めての経験でした!
18600円(2名朝食付き)

 2025年8月30日(土)
玖島城  
  この日は島原、原城を目指します。

でも、その前にスタンプは無いけど、
どーしても玖島城に行きたくなり、寄り道。
  もう、楽しくってたまらない。
石垣にキッスです。

台所門から、本丸に入ります

   この城の凄い所は、海辺の石垣が残っている所。
これは船倉、舟入の跡。
いかにも、江戸時代の舟が接岸していそう。

しかし、藩主大村氏は、一族郎党をキリシタンにしたらしく、はむかうものには酷い仕打ちをしたという。
強権政治の城だ。
  板敷櫓(復興)です。
どうしてこの外観になったかは、もう言うまい。

眺めも、天気も最高!
幸せを感じるひと時です。
島原城
  このアングルがお薦めだと書いてあったのでポチリ。
でも、みんなインチキなんだよね。
  松倉氏の厳しい政策により 「島原の乱」 の引き金となった島原城。
完全に観光地化されたこの復興天守からは、
そんな悲しい歴史は浮かんでこない。

城内の石垣は、かなり改変されてしまっているし、
とりあえず早々に退却。
昼食
 
お昼になりました。

そこで、近くのチェーン店「まるまるうどん島原店」さんにお邪魔。
九州のうどんは「柔らかい」という話なので、
それを確かめに来ました。

安いです。
このごぼう天うどん、620円。
しかも薄切りのごぼうの天ぷらが、山のように入ってました。
九州も、けっこううどん文化なのですね。

店の前が「丸亀うどん」なので、店が入れ替わったかと思って焦りました。
原城 
   
原城にやってきました。
ここは、有馬氏の城。
そのあと、近隣の日野江城に入った松倉氏が、
新城、島原築城の際に取った政策から、悲運が始まる。

その舞台に立ったのが原城。
   原城の入り口。
写真奥が原城なのであるが、城の雰囲気はゼロ。
  城跡に来てみれば、石垣、低っつ!
徹底的に壊されたんだろう。
写真は本丸桝形門。
天守台と言われている場所。
天端の石垣が壊されている。
 
 おもわず、石垣にキッス。
ちょっと、バチあたりかな。
天草四郎君とも記念撮影。

ここで3万5千とも7千ともいわれる人が残虐された。











今日のお宿  原城の宿 城 
 
今日のお宿は「原城の宿 城」!
なんとも城好きにはベタな名前。


 
   部屋はこんな感じ。
ちょっとビジネスホテル風。
でも、お部屋も綺麗で、近くの立ちより湯に無料で入れます。

◆立ちより湯
原城温泉 真砂

お昼をたらふく食ったので、
この日の夕食は近くのファミマで酒を買って済ませました。



   翌日の朝。
近くの浦田漁港へ散歩。
時刻は5時半。

若い女の子が一人波間を散歩していました。
こんな時間に??

ちょっと声をかけようかと思いましたが、
ジジイが、なに調子ぶっこいてんだ!
と思い、辞めました。
 
朝食は隣の割烹で頂きました。
完全個室で、料理も豪華。
しかも、美味しい。
 
これだったら夕食付にすればよかったなぁ。
コレから宿泊される方は、夕食付けてみてください。
評判イイみたいですよ。
21560円(2名朝食付き)

2025年8月31日(日)  
 有明カーフェリー
 
多比良港に1番で着き、
21番レーンで待つように言われました。
軽自動車1台+運転手1名=2500円です。
女房は、乗船料500円で、合計3000円
意外に安くありませんか!?  ちょっと感動です。
今日は退職して丸1年。
卒業式になります。

今日の卒業旅行は熊本!
熊本には、島原 多比良港から 熊本 長洲港に
有明カーフェリーで渡ることにしました。

◆航路です


  待ってると、もうこんなに車の列が。
さあ、時間です。
正面の斜めスロープを上がり、いよいよフェリーへ。

カーフェリー初体験
   フェリーのお兄さんたち、慣れた手つきで早い早い。
あっという間に車は整列。
  あとは、45分間ボーっと海を眺めてました。
もう、サイコー!!

旅行、メチャ楽しぃ~
  カーフェリーを降りて、熊本市内に向かいます。
熊本城 
   来たどー熊本城!!

・・・???

あら???
   えーーーー!!
みんなぶっ壊れてるぅ~~
 
宇土櫓は全解体
隣の櫓。。無い。。。。。

2016年の地震。。
ひどい・・・・
   本丸御殿・・・
漆喰壁がはがれたのだろう。
幕が張られちゃってる。
しかも、せっかく見に来たのに、立ち入り禁止。。。。。
   左は数寄屋丸御広間。。
神様は、ほんと酷い事しやがる。
崩れた石垣も下写真のように、被せ物してる。。。
ひどい。。ひどすぎる。。

見ていたら、涙が溢れてきた

かわいそう過ぎる。。。

  でも、天守周りは空元気してます。
外観復元のインチキ天守だけど、やっぱり、あると無いとじゃ大違い。

あと、復興城主にちゃんと私の名前載ってました。

  飯田丸近辺は立ち入り禁止なので、現在、空中に回廊が出来てます。

ある意味、この風景を写真に収められるのは今だけかも。
はやく、熊本城、元気になってほしい。 
今日のお宿 亀の井ホテル 阿蘇・・・文字が大きくないのには訳が。。。
   女房に草千里が見せたくて、泊まったのが亀の井ホテル。
今日はちょっと豪華に夕食もつけてみた。
 部屋は綺麗で、小上がりもある。
これは期待できそう・・・と思ったが。。

残念だったのが、料理。。。。
ビュッフェ形式で、
豪華なんだけど、なんか美味くない。
冷凍物がかなり混ざっている気がする。

おまけに、大浴場が改装中。
男女入れ替えになっていて、
食事のタイミング的に、女房は入れなかった。
しかも、部屋風呂は掃除が行き届いていない。

・・ということで、かなりガッカリ
もう、亀の井ホテルは選ばない。
33120円(2名朝食夕食付)




 2025年9月1日(月) 今日から退職2年生!
 草千里 阿蘇火口
  ま、定番と言う事で。
いちおう掲載。
ここから、佐賀に向かいます。

 鞠智城
  阿蘇から近いので寄ってみた。

申しわけないくらい寄っただけ。

スタンプ置き場に指定されてる施設が閉まってる。
え??? どしよ?
と思ったけど、スタンプ置き場の下の引き出しに
ハンコが入ってましたぁ。
良かったぁ。
久留米城 
   鞠智からひたすら一般道を走り、久留米城に来た。
ちゃんと調べ切れてないけど、残っているのは本丸部分だけ?
石垣にキッス。
   神社にてスタンプをゲット。
お参りをして、次の目的地吉野ケ里に向かいます。
吉野ケ里 
   ここも再訪。
西口入り口で、スタンプだけ押させてもらうことに。

ゲートのおばちゃんには、入場料は払わねーわ、写真のシャッター押させるわで、申しわけなかった。
佐賀城 
  次にきたのは、佐賀城
ひさしぶりー。
  この天守。
なんで本丸から入れないんだろう
AIに聞いてみたら、防御のため細い犬走りからしか天守に入れないようになってた、という答え。
そうじゃないだろう。
もっと他に理由があるはずだ

調べたところによると、
①天守台には、本丸側から木の階段がかけられていた。
②本丸御殿から、天守に渡る廊下橋があった
と出ていた。
なるぼどー!!と一瞬思ったが、

「じゃあ、本丸の外から入る入り口、要らねーじゃん!」と思った。


結局、なぞですな。
  しかし、この本丸御殿。
冷房はきいてるわ、しかも拝観料は無料だわ、
申しわけないから義援金出したけど雀の涙。
どこもかしこもお金取る時代なのに。。。
やっていけるのだろうか?と、ちょっと心配になりました。

15年前、この御殿広間で 
”トリプルアクセルーぅ” って娘ははしゃいでいた。
ジジイも同じポーズで撮ってみました
今日のお宿 
   今日のお宿は、ガーデンテラス佐賀ホテル&リゾート。
隣が系列の大きな結婚式場なので、間違えてそっちに行っちゃったよ。
フロントの対応が、個々にテーブルで行う。
これじゃあ、人がいっぱい来たら対応できないじゃん!
って思うほど、丁寧でした。
  部屋に入れば、沖縄のリゾートホテルみたいに、浴槽はスケスケ。
外にはプールにサウナ。
アメニティはみんな持ち帰り可能。
しかも朝食はライブキッチンでした。
こんな街中に、非常に不釣り合いなホテルでした。
19000円 朝食付き

あ、もちろん快適に過ごせましたよ。
部屋までの回廊
 2025年9月2日(火) 最終日!
基肄城  
   ここは、町民会館でスタンプのみ。
日本書紀に載ろうが載るまいが、朝鮮式山城は興味なし。
押したら、早々に退散しちゃった。
水城
   次に向かったのは水城。
ここ、駐車場が分からなくて、車窓からのみ。
   大野城心のふるさと館。
ここで、「大野城」と「水城」のスタンプが同時に押せちゃいます!
大野城 
   目的のスタンプは押せたけど、
せっかく来たんだから少しは朝鮮式城郭も見ようということになりました。
で、来たのは大野城の百間石垣。
おー、なるほどね。
結構すごいじゃん。
   大野城の最高所まで行って見た。
他の写真は、ここから近くの大宰府口城門。

石垣や、門柱の礎石等も残り、
これらが、7世紀~8世紀の城とは、結構凄いんだな。
   
大宰府 
   大宰府口門を下れば、太宰府天満宮。
せっかくなので、お参りに。
本殿は改装中でした。
   御朱印をもらい、梅が枝餅もたべ、
いよいよ栃木に戻ります。
  これまたせっかくなので、福岡空港で井手かつ丼をたべ、遅い昼食です。

ほんとは、井手”ちゃんぽん”が食べたかったんだけどね。
空港にはかつ丼しかなかった。
 再び茨城空港 
  時刻は午後7時前
予定通り、茨木空港に着きました。
いやぁぁ、マジ楽しかった。

あー、また、行きたいな。
本当に、良い旅だった。

でも、かなり疲れた。。。



◆93 鹿沼市役所いちご市営業戦略課広報 シカノツノタチ発信局に物申す! 

私は、令和3年の4月から約5年間、鹿沼市の魅力を伝えるため組織された"シカノツノタチ発信局"のライターとして、
合計21回のコラムの執筆を行っていた。
しかし、以下の不甲斐ない理由をもって、令和7年6月をもってライターを辞退した。

本日記は、そこに至るまでの経緯を示すものである。

  ◆第1章・ 発端/シカノツノタチ発信局ライターは、全員立候補のボランティア
コラムのライターは立候補だった。
完全なるボランティアで、目に見える報酬などは一切ない事が条件。
私は、鹿沼城ばかりクローズアップされる鹿沼市で、鹿沼城以外の他の城館をPRしたいと考え、
2021年の初募集の時に立候補した。

立候補者は、鹿沼市役所で審議され、私は採用となった。
採用と言っても、”善意の塊”であろうから、立候補者は全員、採用になったと思われる。

コラムスタート時には、いちおう打ち合わせがあった。
しかし、テレビ会議で参加・不参加は自由であった。

え? ちゃんと鹿沼市役所に人を集めて、趣旨説明しないの???大した人数じゃないじゃん
と、私は思った。

もちろんライターは鹿沼市民だけではないだろう。
かくいう私も当時埼玉県在住だった。
遠方の人も居るからの配慮か、と飲み込んだ。

この時は、こんなことになるとは夢にも思わないでいた。。。。

●シカノツノタチ発信局コラムURL
シカノツノタチ発信局 | ジブンスタイルかぬま ⇒リンク





  ◆第2章・前兆/バカにされた付加文

最初は自分の文章が、広報として掲載されることが面白かった。
市民の理解を少しでも得ようと、コラム専用でイラストも新規で随分作成した。(下図)
かなりの思いを込めて、第1回、2回、3回・・と、投稿していった。

ところが、第4回の”加園城のコラム” から雲行きが怪しくなっていく。

突然、鹿沼市の編集者から、以下の文章をコラムの最後に付けたいと言い出した。

<編集部より>
本コラムは、趣味として長年、城の構造(縄張り)を調査している縄張りくん(私のニックネーム)が、
鹿沼市の魅力の一つとして、市内の縄張りを紹介してくれています。
あくまで、縄張りくん個人の見解に基づくものですので、ご承知おきください。

え?? 目を疑った。

俺の個人の見解?なんでこんな事書くの?

まりこの文章は、
広報として掲載はするものの、渡邉のコラム内の見解や、それに基づく考察に対しては
 渡邉が勝手に言っているだけで鹿沼市とは一切関わりがありませんので、何も問い合わせないでください、ヨロシク

と言っている。
保身である。
「だったら、俺を不採用にして、こんな広報に掲載しなきゃイイのに」 とも思った・・・・。


それでも、市民の為に影の薄い城達を知ってもらいたい!ということで、
このバカにされた屈辱的な付加文の掲載を受け入れることにした。

でも、よく考えれば、私以外の執筆者のコラムだって、「ここのお店は美味い!」とか「ここは癒されるー」とかの
個人見解の塊なのである
なんで、私のコラムにだけ、何故、この様なコメントが必要なのか?
全く理解できないでいた。

バカにされながらも、屈辱に耐え、投稿は続けた。
いつか、この文章は鹿沼市役所側で ”大変失礼なものだ” と気づいてくれるだろうと期待していた。
こつこつコラムを書き溜めれば、お詫びに、小冊子くらいにはしてくれるかな?
そんな期待を込めていた。

・・・が、鹿沼市からは、その後も何も無かった。

(※ちなみに、この屈辱的な付加文は、最終回でも外してもらえない。)


1年が過ぎ、コラム創設の頃の市役所編集担当者が変った。
担当者が変更になったことで、ライターも新規となったが、私は継続を希望した。

この年ぐらいからか、初年度に行ったボランティアに対する趣旨説明は実施されなくなった。
新人ライターも居るのに、そのまま、2年、3年と時間が過ぎて行った。

このシカノツノタチ発信局が形骸化しつつあった。

きっと、編集部の中で厄介な仕事の1つになってきたのだろうと思った。



●シカノツノタチ専用で描いてきたイラスト






◆第3章・市民からの声/ボランティアとは?

もう一つ気になることが出てきた。
それは、各コラムに対して、鹿沼市民からの反応を伺う場が無い事である

Xやツイッター、インスタグラム等、その他のSNSではだいたい「イイね!」とか「クチコミ」欄という物がある。
しかし、このシカのツノタチ発信局には、一切そういうものが無い。
コラムに対しての評判は、ライターも気になる所である。
批判もあろう、だが、その逆も有る。
これらで執筆に対するモチベーションも変ってくる。

しかし、シカノツノタチには何も無いのである。

これに対しては 「おかしい」 と思った。

確かに、ボランティアではある。
 ”無償の愛” で見返りは期待しないという事ではあるが、「市民の声」くらい聞いても罪は無かろう。

私は、その旨を事務局にぶつけた。
その時の回答が
「わかりました。市として、各コラムに対し、「イイね」などの設置を検討していきます」
との返事が来た。

おっつ!いいじゃん。
これで、きっと良くなるだろうと思っていた

しかし、それは儚い夢であった。
最後まで実施されることは無かったのである


ボランティアって何だろう?
災害が起きるたびに、各地に向かうボランティアの方々がいらっしゃる。
当然、報酬目的では無いのに、みんなが何度も被災地に行くのは何故だろう?
それは、きっと現地でたくさんの人たちの

”ありがとう” ”助かったよー” ”また来てねー、まってるよー”

そういう現地の声をもらってるからだと思う。

ボランティア先で、 ”無償の報酬” をもらっているのだ。
だからまた助けに行こう!って気持ちになるんだろうな、と思う。

それに引き換えこのコラム、
市民の声など、いまやパソコン時代なんだから、イイね!とかクチコミ欄をつけるなんて簡単にできる。
でも、鹿沼市役所は何も動かなかった。
繰り返すが、クチコミは、ボランティアで執筆しているライターのモチベーションとなるのに。。。

鹿沼市役所がどうして動かないか?
当方、40年サラリーマンをやっていたが、その理由は簡単に想像できる。
そう、それは「面倒くさい」のである。

コラムにクチコミ欄をつけた瞬間に、いたずら書き込みや、鹿沼市に対する批判などが殺到するかもしれないからだ。
市はそれを恐れたのだろう?
それは、このコラムの仕事が、”形骸化”している証であった
「この人、面倒くさい仕事増やすなよー」、と編集部職員担当の声が聞こえてくる

つまり、この時点で、このコラムは 「ただやっている」 だけの物となっていたのである。
民間会社の施策でも良くあるやつである。
企画の時だけ勢い良くて、後からどんどん衰退していく施策。
まさにそれと一緒だ。

「シカノツノタチ発信局」は、
広報のボリューム感を出すためだけの ”お飾りコラムに形骸化” してしまっていたのである。


そこからは、何も生まれない。
良くしよう、という気持ちも込められていない。
こんなんだったら、このコラムはやめたほうがイイと思った



◆第4章・破局/市役所からのメール

不満を抱えながら5年目に突入した。

2024年に私は【図説 栃木の城郭】国書刊行会という本も販売し、
私の栃木県の城郭に対する位置づけも、ある程度市井に認めて頂けたと判断し(勝手ですが)、
いい加減、あの付加文を外してくれと、市と交渉した結果、

第2章で書いた私をバカにした付加文言は、25年3月に外していただける事になった

以下が、市のメール全文である。
>また、記事の最後に掲載している文章に関してですが、今後は掲載しないこととなりました
>これまで
ご本人の意向確認することなく掲載をしており申し訳ございませんでした。




やっと呪縛が取れた所で、第21回を、先日鹿沼市役所に送った。
そうしたら、市から返信をもらった。
以下全文
こちらで出た率直なご意見をお伝えいたします。


>①新発見ではあるが、天狗沢城は正式な遺跡名称ではないので、
読者への誤解を与えない配慮として以下の文言は記載したほうが良いのではないか?

>(編集部より)
>本コラムは、趣味として長年、城の構造(縄張り)を調査している縄張りくんが、鹿沼市の魅力の一つとして、市内の縄張りを紹介してくれています。
>あくまで、縄張りくん個人の見解に基づくものですので、ご承知おきください。
>②鹿沼市のホームページに関するリンクの規定が変わってしまったため、ホームページのリンクURLの記載は控えたほうが良いのでは?
→特定の商品や思想等の宣伝を目的としないもの
https://www.city.kanuma.tochigi.jp/0000/info-0000003341-1.htmlリンク先を開いたときに本の宣伝が大きく出ているのは、この規定に該当するのではとの意見がありました。①に関しては、以前この文言は外すとお伝えいていたにも関わらず、大変申し訳ございません。

は??


上記メールについての私の反論である。

結局、私をバカにした文章は外してもらえないそうだ。
確かに天狗沢城は正式名称?では無いかもしれない。
では、城跡の正式名称とは、誰が決めるのか?
鹿沼市長か、栃木県知事か、文部大臣か?
正式名称ではないので、読者が誤解する????‥‥まったくの意味不明である



私のコラムには確かに、私の本の宣伝にURLで飛ぶようにしてある
市区町村の広報で商品の広告となってしまう事は,問題があるということなのだろう。
それはある程度理解できる。

では、私以外のコラム全体を見てみろよ。

私のコラム内容は城であるので、利害関係は発生しないが、
他のコラムでは、お店とか施設を紹介し、感想を述べ、完全に宣伝をしているのである
これは、商品の紹介にならないのか??
なんで、他のコラムには、私をバカにした文章と同じものが入らないのか?


以上①②より、ハッキリわかった。

鹿沼市は、私の投稿を快く思っていなかったのだ
もしかすると、鹿沼市役所の職員、またはその関係者に、私を煙たがる人物が居るのかもしれない。
そうとしか思えなくなった。

そうでも考えなければ非常にミジメだ。


私には、城の関係で市の職員さんを複数名知っている。
今回のシカノツノタチ発信局の対応を、相談してみたが、

「ボランティアさんに対し、非常に雑で、酷い扱いですね」
「ボランティアさんへの扱いは、投稿を頂けなくなる可能性があるため、非常に気を使います」

というご意見だった。
そうです、これが普通、です。


たしかに、前文でご紹介した市からのメール。
「こちらで出た率直なご意見をお伝えいたします。」
という、マウントしているとしか思えない文言。

まったく、俺もバカにされたもんだ。
ボランティアなんて、するんじゃなかった・・・しかも21回も投稿しちゃったよ・・・と本当に心から思う。

 
◆第5章・最後に/鹿沼市役所に物申す


・・・ということで長々と書いてきたが、
第21回をもって、私のコラム投稿は強制終了する。
もう、このような形骸化し、前向きでない鹿沼市役所に協力する事は、まさに意味不明となった

最後に、

鹿沼市役所いちご市営業戦略課 シカノツノタチ発信局事務局 殿

もし、このままこのコラムを継続するなら、ボランティアに対する態度、対応を改めなさい。
形骸化してしまったこの企画自体も、一から見直すべき。
各コラムへの声、意見が少ない、無かったと言うのなら、それはこの企画が、「企画倒れしている」証拠だよ!



さようなら、シカノツノタチ発信局。
残念な幕切れとなったことが、本当に残念です。

以上である。


※しゃくなので、ホームページ上で、いつか、このコラム全文を公開したいと思っている


◆92 奈良県 和歌山県 お城スタンプめぐり 2025/04/12-16
4月12日 
孫の宮参りを終えた私たちは、
静岡吉田インターのスマイルホテルに宿泊。

ツインと言っても、一人部屋にベッドを2つ
無理くり入れた部屋だった。
なので、ご覧の通り、鏡やコンセントの位置がおかしいでしょ。
女房は、ベッドの上でお化粧していた。

あと、フロント横の男子トイレ。
ウオシュレット故障中の張り紙が貼ってある。
ずーっと、故障中にしてるのが見え見え。
早く直せよ。
4月13日 
  この日はあいにくの雨。
でも、私は時間を無駄にしない。
今日の宿泊は大和郡山だが、寄り道して宇陀松山城に向かった。

しかし、この日から女房が体調の不調を訴えだす。
大丈夫かな。
近くのドラッグストアで薬を買った。

  宇陀松山城下は、城下町の景観が残ることで指定されている。
重要伝統的建造物群保存地区。

しかし、その町は閑散としていた。
日曜日なのに。
雨のせいもあるかもしれないが、誰も歩いてない。
ちょっと寂しい。
  町のハズレにある西口関門。
ここは桝形形式の現存門で、
ここから松山城本丸に向かう道が延びていた。
あいにくの天気だったので、山の上には登っていない。
  次に向かったのが、大和郡山城。
さすが、秀長さんの城。
  石垣の高さに圧倒。
ただし、かなり公園化されていて、
私の好きな古城の雰囲気はかなり削がれている
  私の夢はシャチホコを一本、丸ごと見つける事。
ここではその夢は叶いそうにない。
   噂の転用石垣。
まあ、なんでも石垣にしちゃえ、という発想だが、
石仏だけは扱いが違うそうだ。
  復元とか言っているが、私にはただのインチキ城門。
外観は空想そのもの。


こういうのにお金を掛けるのって、
ほんとどーなのよ?って思う。
  インチキ櫓。
柱の数同じにしたって
復元でも何でもない。
   今日の宿泊は大和郡山のスーパーホテル。
セミダブルと上段の簡易ベット。
体調が少し悪い女房を下に寝かせ、
私は上で大いびき。

でも、ここのホテル、
大浴場はあるは、8時まで酒が飲み放題。
素晴らしい。
快適だった。
4月14日 
   さて、メインイベントの高取に来た。
まずは、麓の案内所(夢創館)でスタンプを押す。
本来なら、ここから歩いて高取城を目指したいが、
女房の体調を考え、タクシーで上まで運んでもらう道を選んだ。
ご丁寧に案内所の方が、タクシーを呼んでくれた。
何しろ、2台しか、この町にはタクシーがないそうである。
平日で良かったー。
  車は案内所そばの駐車場に停める。
ここまでタクシーが来てくれるそうだ。
観光駐車場と言っても、地元の人の駐車場。
エアロビ教室に向かうおばちゃんたちが、車を留めていた。
   タクシーで2550円。
高取城直下まで来てもらった。

タクシーの運ちゃん曰く、、
『こんなとこ、昔は物好きしか来なかったんやけど、
高橋英樹が凄い城やっ!て宣伝したもんで、
人が来るようになったわぁ~』


タクシーを降り、迷わず七つ井戸曲輪から山頂を目指す。
マイナーな入口の方が、楽しい。
   井戸曲輪直下は破片瓦の嵐。
さぞかし、ここの城は建物が沢山建っていたのだろう。
残念ながら、シャチホコ一本は見つけられず。
   さあ、いよいよだ。
ここを曲がればあれが見えるはず。
   来たー!
きたぞ、きたぞ、きたぞ~。

すげー。

何も言えない、声も出ない。
これぞ、近世山城
   もう、楽しくってたまらない。
あっちにいったり、こっちに行ったり。

どこ歩いても楽しい。
わー。きゃー。すげー。

女房が居なかったら、たぶん俺は一日ここに居れる。
他なんて行かなくてもいい。
ここだけでいい。
   眺めも、天気も最高!
幸せを感じるひと時。
   ここから、麓の駐車場まで歩く。
当たり前だが、下に行くほど、石垣が貧祖になっていく。
いや、もちろん、他の城であったら大した石垣だが、
山の上の丁寧さに比べれば、明らかに異なる。
   こんな山の中なのに、大堀切には水が溜まっている。
不思議な光景だ。
   ここまで来て思い知らされるのは、
こんな山深い中に忽然とマチュピチュのように総石垣の城が現れることだ。
工事用の機材、機械も無い時代に、これだけの物を築くとは。。。
その労力と、その財力に感心せざるを得ない。

ほんと凄い。
そして、改めて、城は西国だなぁと思う。
栃木の城がみみっちい。

写真は国見櫓から、城下を望む。
山深さがお分かりになろう。
   山を降り、手嶋寺の移築城門(2の丸門)を見に行った。
随分変えられちゃってるだろうけど、
昔の部材であることは間違いなさそうだ。
   そのあと、千早城に行った。
時間切れで、ほんと、スタンプ押しに行っただけ。
上まではあがらず。
高取城の後に、ここを登ってもあまりおもしろくないだろうしね。
   この日はルートイン紀の川に宿泊
凄いまともなツインの部屋で、広いし、大浴場もあるし、
必要十分。
これを思うと、静岡吉田インターのスマイルホテルは酷かった
4月15日 
  今回の旅の終わりは和歌山城。
実は私は30年前ここにきているのだが、
全く記憶がない。

廊下橋を渡り、天守へ。
この廊下橋は、資料に基づき新造されたと聞く。
これぞ、復元だ。

   唯一現存の岡口門。
やっぱ、現存は、風格が違う。
現存の匂いがする。
すごい、かっこいい。
 外観復元の天守とポチリ。
まあ、許してやるか。
   そのあと、和歌山城の土産物屋でラーメン屋を紹介してもらった。
城跡近くの『山為食堂』

うまい!!
これぞ、和歌山ラーメンだ・

950円だった。
皆さんはだいたい、これにライス200円付けて食べていた。
  本当は、和歌山城を見たら帰ろうと思っていたのだが、
せっかくきたんだからと、金剛峯寺にも寄った。
山の上に忽然と現れる町にビックリ。
  その荘厳さにもビックリ。
内部も見学して、宿泊無しで2日掛けて宇都宮に戻った。
走行距離1500km
女房が最初から最後まで体調不良で、
全部私が運転した。

※後日談
結局栃木に戻ったのは16日になってしまった。
これが仇となって、栃木に戻ってから私は寝込むことになる。
じつは、これを書いている今も調子が悪い



◆91 茨城県常陸大宮市 小瀬城(おせじょう)彩色図完成   2025/03/21
彩色図が完成しました。
ご参考にどうぞ

 



◆90 茨城県常陸大宮市 小瀬城(おせじょう)下図面完成   2025/02/13


小瀬城のツアーの為に、1月15日から始めた城の調査。
ツアーの後も残項目の遺構を現地確認し、
2月13日に山の上の調査を完了。

以下が、その集大成となる。
今後は、これに色付けを行っていきたい。

 【現地縄張り図】
工事中

 



◆89 茨城県常陸大宮市 小瀬城(おせじょう)ツアー   2025/01/15


常陸大宮市の小瀬城のツアーに参加することになった。
市が、昨年の茨城城郭サミットと同時に募集を掛けた。
人が集まることを予想して、
1/18, 25の両日で行うそうである。

集まるのかな?と思ったら。
あっと言う間に定員がいっぱいになったそうである。

管理人は、色々あったが、このツアーの解説員となった。
しかし、小瀬城に行ったこともない。
それでは解説員として申しわけないと、
1月15日に下見に出かけた。

  早速、主郭部まで来てみると、大きな堀切と出会う。
 
写真は、本城部分南の大堀切。
(ここは今回縄張り図には描けていない)
 【現地縄張り図】
工事中
1/15現在の縄張り現地調査図。
本城部の一部と北城部のみである。
 
 

 本城北の居館部分の2重堀の土塁。
 

 本城部主郭から、谷に向かって降りる竪堀がある。
この下の谷部も城域として捉えていると考える。



 

北城の大堀切の東側の竪堀。
中腹の道から見ている。
 

それを上に見上げたところ。
大きな堀切であることがわかる。
 

最北端の小堀切。
ここから先に遺構は無い。
小瀬城の最北限と考えられる。
 
今回の調査としてはここまで。
せっかくなので、あともう一回来て、図面を完成させたい。


 追伸

1月18日、ツアー当日の写真である。
おそらく、廃城以来、ここにこれだけの人が来たことは無かったろう。
40名の参加だった。
約3時間の山をみんなで歩いた。
図面の最北の堀切まで行くことになる。
茨城の人たちの熱量は凄い。
でも、ケガもなく、無事に終わって良かった。。。

 



◆88 茨城県常陸大宮市河内城ツアーその2  2025/01/02




◆宿泊はビジネスホテル岡崎


ツアーも大盛況に終わり、本も売れて、良かった、良かった。
でも、何か心残りが。。。。

そ、そうなのである。
あれだけきれいに整備されたのに、私は河内の図面を書いていない。

それは良くない。


・・・という勝手な思いから、私は12月の茨城城郭サミットを利用して
常陸大宮に宿泊し、河内城の図面を描くことにした。
   2023/12/23.
わたしは、再び河内城にやってきた。
   ツアーの時と同じく、
標識のここから登れば、難なく河内城である。
 【現地縄張り図】


 

 お隣の県のことでもあるので、
あまり詳しく解説を加えても・・・。
でも、気づいたことを少々。

主郭への入り方だが、
現地縄張り図では、写真の土壇から
斜め掛けになる木橋の可能性を指摘している。(下図①)
 

 ただ、ちょっと気になるのが主郭西側の堀。
なんで、こんない浅いのだろう??
埋もれているのか?

埋もれていないのなら、②の坂虎口の可能性もあるのではなかろうか?
この場合は曲輪2側の土塁は、主郭桝形虎口を隠す役目だった可能性がある。

また、木橋という考えなら、
③にも木橋が掛けられそうだな。。。
 
◆主郭北側の飛び出し部
 

③が木橋だと、
主郭北側隅の飛び出しが、
主郭東奥を見えないように工夫している様に見える。
視覚的に見えないようにしているようだ。。
 

主郭から曲輪3へは、もちろん木橋④である。
この木橋には、主郭矢倉台から微妙に横矢をかけている。

また曲輪3から外へも、もちろん木橋⑤だろう。

この様に、この城は木橋をかなり多用する。

また、この主郭と曲輪3間、曲輪3と城外方向の堀切は
非常にシッカリしている。
これらは主郭西側と大きく異なるのも特徴だ。
その理由については、後述する。
 

 曲輪4から曲輪2への入り方であるが、
後世の改変が否めないものの、基本赤→であったと推定する。
赤丸内の二重竪堀や横堀は、
虎口を入った敵兵に、北斜面に回り込まれる事を嫌っているからだ。
  曲輪4はあまり積極的に使っていなかったのでは?と思う。
斜面は斜めだし、竪堀状に見えるのは、後世の改変の可能がある。

城としてはあくまでも主郭、曲輪2、曲輪3で守ろうとしている。
防御重要点は北方面と、主郭以東の尾根続き。
主郭西側の東西の遮断は、それに比べ甘くなっている。

それは、根古屋を南に抱えているからだろう。
根古屋~主郭までは、西側の斜面を使って連絡していて、
それゆえ、主郭以西の堀などの遮断が、東に比べ甘い。

そんな気がするのである。。



◆87 茨城県常陸大宮市河内(こうと)城ツアーその1  2024/12/28
 
茨城県の「森と地域の調和を考える会」を中心に
常陸大宮市で河内城のツアーが実施された。
当日は、「図説・栃木の城郭」も物販できるということで、
共著者の余湖浩一氏と参加することにしたのである。

最初は物販だけだと思っていたが、
よくよく聞くと河内城のツアーガイドもしてほしい、
と茨城城郭研究会の方からオファーがあった。
私は河内城など行ったこともなく、ちょっと苦笑してしまったが、
”当日は、50人ほどで山を歩くので、後方についてフォローをお願いしたい”
という中身だったので、承知することにした。
完全なボランティアだが。。。。

ボランティアでも、当日行って、監視だけじゃ申しわけないと、
個人的に事前に城だけ確認することにした。
そうしたら、ツアーを前にか、ちゃんと下草が刈られており、
大変歩きやすい、見やすい状態に山がなっているではないか!?

茨城の城ツアーの意気込みを感じずにはいられなかった。

   11月9日、ツアー当日。
本当にたくさんの方がいらしてくれたのにはビックリした。
茨城は、城に関心がある方が多いようだ。
栃木とは温度差を感じる。
   しかも、城までは観光バスで案内。
お弁当までついて、ツアー代は1000円。
   聞くところによると、ツアーの募集は50名。
1000円かかるが、当日完売したそうだ。
   本も隣国 ”栃木の城郭” もすぐ完売。
(といっても5冊だが・・・)
   ツアーの方も大盛況。
この山に50人以上が登り、茨城城郭研究会の説明を聞いた。
河内城だけでなく、そこから上の
最近発見された物見跡の見学も行われた。

この城に、これだけの人が来ることは、もう無いだろう。

すごいぞ、茨城!”!
   最後に記念撮影。
左から、茨木城郭研究会の青木氏、余湖氏
そして渡邉である。

3匹のおっさん である。



◆86 定年退職  2024/09/24

わたくし、2024年の誕生月 8月31日をもって退職した。
それを記念して、女房と滋賀県にお城スタンプ巡りをした。

 
まず、初めて行った小谷城。
メマトイ、蚊に悩まされた。
訪れる人はほぼ0だった。
この季節に行くのはやっぱNG。
 
次に、言わずと知れた安土城。
何度と無く来ているが、スタンプを押してなかった。
結構登るので、疲れる。
信長も何度も登ってたんだろうな。
 
近江八幡城
ここの城はスタンプを押すのに往復1000円のロープウェイに乗らなくてはならない
それは無いでしょう。
入るない所もあって、不満足な城だ。
秀次くん、こんなんでいいの?
 
彦根城。
残念ながら、当日は天守工事のため中には入れず
その代わりに公開になっていた佐和口多聞矢倉。
波打つ内壁が特徴的です。
 
最終日にいった、竹生島。
この唐門は秀吉時代の大阪城の極楽門という。
この唐門的な造りは確かに豪華。
国宝も理解できるな。
 

女房と二人の旅行。
めちゃくちゃ楽しかった。
やっぱ、彼女と行く旅は本当に楽しい。
でも、あまり良い宿に泊まれなくてごめんね。

これから家にいることが多くなるが、よろしくお願いします。
いつも一緒にいてくれて有難う。
本当に愛しています。



◆85 発売開始だ!  2024/04/30

◆74で紹介した馬鹿なE●●出版と、それに肩を持った輩Sに告ぐ。
お前らの力なんか無くたって、しっかり出版できましたよ!




◆84 いよいよ出版だ!  2024/04/14

世の中には、捨てる神あり、救う神ありだ。

私の出版に際し、◆74で難癖を付けたえび●〇●出版とは全く別の出版社/国書刊行会さんから栃木本のオファーがあった。
もちろん、えびす〇●出版とは異なり、私のホームページ廃止などという馬鹿げた条件は無しで良いという。
だいたい、この情報の溢れる時代にホームページをやめなければ本が売れない・・・などとほざく事自体が出版社としておかしい。
その理論だと、本なんか一冊も売れるわけがない。
しかし、インターネットがあろうが、ツイッター、インスタが発達しようが、売れる本は売れるのである。
国書刊行会さんは、そのへんをちゃんとわきまえていらっしゃるようだ。

インターネットとは違い、どんな山の中の電波が飛んでないところても、本があればいつでもどこでも検索できる。
一冊あれば、いちいち検索しなくても、パッと探せるのが、本の強味でもある。
それをえびす〇●出版は、出版社なのに理解してない。
ネットに勝る本を作る自信が無いのだろう。

思い起こせば7年前。
本当に嫌な思いをして断念した栃木本だ。
私の栃木本は、この4月には刊行される。

馬鹿な出版社えびす〇●出版と、それに肩を持った輩S。

「おい、お前ら、ずいぶん好き勝手なこと言ってくれたよなー。」

私の恨み節はこれからも止まらないし、一生おまえらは許さない。



◆83 旭山城 その2  2022/
長野で嫁と娘が再びコンサートに行くという
これは、旭山再訪のチャンス!!
2人はコンサート。
私は旭山登城。
こんな感じで、家族3人で一泊2日で長野に旅行に行くことになった。 
ところがである。。。。
事前の天気予報は最悪 であった。雨70パーセント。
せっかくの長野行きなのに。。。
当初はやめようかとも思ったが、ホテルも取ってしまったし、今更行かないというと、家族になんと言われるか・・・
 
しかし 前の日になって、天気予報が少し変わった。
曇りのち雨。
午前中はなんとか持ちそう。。。という天気になったのだ。
雨を覚悟で、管理人は長野行きを決行したのである。 
 
娘たちと別れ、現地に着けば雨は降っていない。
このままいけば、なんとかなるかも。。。 
 
登城途中の竪堀。
相変わらず、見事やなー。 

 
主郭に着いた。
おー、 2018年以来3年ぶり。
元気だったかい?
 
主郭の堀切もそのままだ。
変わってない。 
 
今回のお題は、主郭東に続く曲輪群。
この巨石にはビックリ。
虎口として使われていたのだろう・ 
 
そこから見た長野市内。
めちゃくちゃ、眺めがよい。
城にするわけだ。 
 
縄張り図は順調に山上部分はほぼ書き終えた。
順調、と思っていたのだが・・・・
 
時刻は二時半。
ここで、雨が降ってくる。
やばい、撤退だ!!  
 
雨のなか、旭山城を振り返る。
ちくしょぉ、もうちょっとだったのになぁ~
 
ホテルに入る頃には本降りになった。


・・・・また来るか。

まだ、山下の曲輪が描けていない。 
・・・というわけで、旭山城は3回目に続く(たぶん) 



◆74 断ったアホな出版社からの依頼とクソ野郎   ⊿2 2025/01/05 改稿2022/07/08 原文2017/08/26 

※追記2022/7/8   話が長いので、本コラムで言いたいことを簡略に書くと・・・

2017年、”あなたに城の本を書いてもらいたい” と、お城EXPOにも出店し城郭本を販売しているE出版社から依頼があった。

一旦、承諾はしたものの、契約書・企画書等、なんにもなく、
原稿料(報酬)は出版した本の配布のみで、基本0(ゼロ)だという。
(まったく、ふざけている。後日私が出版した国書刊行会さんは、原稿料、献本までやってくれたのに・・)
城好きは、研究成果公開の場が少ない為、”本を出す”と言えばみんな食いついてくると思っているのだ。
そんな弱みに付け込んだ、E出版社の卑劣なやり方である。

しかも、後になって社内会議で決めたからと、 
 「本の売れ行きが悪くなるから私の
このホームページを潰せ」 という条件を上乗せ。
仕方なく管理人は本の出版をお断りすることになる
  そこまでして、私にこの本を出す義務が、どこにあるのか?? 

また、断った私の行為を批判する輩Sも現れた。
彼曰く出版社に非は無く、「出版社に謝れ!」という。
は???
意味も分からず、
そのバカとは絶縁した。



・・・・という怒りを綴ったものが本コラムである。
この悔しい記憶は、今でも思い出すだけで体の震えが止まらない

管理人は2005年にも長年付き合った? 城仲間SSに裏切られ、絶縁した経験がある。
SSは都内の博物館学芸員となったが、こいつとは20年以上会話していない。
このような積み重ねから、今、管理人は城郭関係者とはなるべく距離を置いている。

でも、E出版社、輩S。
そしてSS。
こいつらに対する恨み節は、これからも歌い続ける。
おまえら、一生許さない。


(2025管理人)

 原文2017/08/26 

 
こんな事は書きたくないのだが、余りにも悔しいので、本文を記している。

 たくさんの城郭本を出している
E●●出版から

   「
あなたの本を出したいので、
       
あなたのホームページを閉鎖して、誰からも中を覗かれないようにして欲しい


 と頼まれた。
 理由は、 ”本の売れ行きに影響が出る” からだと言う。
 本が出た後にホームページを復活させればいいじゃん、という考えであろう。
 
 利潤を求めるのが出版社なのであろうが、
なんともアホなお願いである。
 城に限らず、
ホームページを閉鎖しなくたって、世の中に出ている本はいくらでもある

 言うまでもなく、ちょっとの期間でもホームページを運営する側は、閉鎖など嫌に決まってる。
 出版社は、自分が何を言っているのか、
事の重大さに気づいていないのである。



 では、そのアホな出版社のために、また、アホな出版社を弁護する輩のために、改めてこのホームページが、どのようにネット上で構成されているのか、
      
 ホームページを「閉鎖する」「見れなくする」とは、技術的にどういう事なのかを述べてみたい。
               (ホームページを個人運営している人には、まったく当たり前の事だろうがお付き合いください)



 そもそも
ホームページというのはネット上で、リンクと言う糸でつながった複数の本の塊なのである”
 
 例えばホームページ上で、 ○○城 の文字をクリックすると、すぐ○○城の解説ページが開く場合があると思う。

 これは、○○城という文字に、” この文字を触ったら、このページを開きなさい ” というプログラムが設定されている。
 このプログラムが 「リンク」 というもので、プログラム上の糸のような物である。
 これが、文字とページ等を結びつけているのだ。
 このような糸(リンク)を幾つも重ねてホームページは作られる。
 もちろんリンクは文字から張るだけではない。
 絵、写真、文章などからも、別のページや他のホームページと結びつけられる。
 
 
                 

 ところが、1冊の本にはページの制限(容量)がある。
 管理人のように12年もホームページを運営していると、内容も増えて、1冊の本の容量では治まらなくなる。
 そこで、他のブロバイダ等から、別の白紙の本を借りてくるのである。
 足りなくなった分は、そこに書き込み、さらに糸(リンク)を張り巡らしていく。

 私は現在、本を別々のブロバイダーから3冊借りてきている。
 もうすぐ4冊目に突入しそうだ。(注*2018年、4冊目に入った)
 要は
数冊の本と本の間を、リンクという糸が縦横無尽に巻きついている。
 繰り返すが、ネット上のホームページは、いくつかの本を核とした、
絡み合った糸玉の塊なのである。


                 ◆ホームページは糸の塊






 
それを 「閉鎖する、中身を見れなくする様にする」 とは、プログラム上どういう事なのか?


 最も簡単にこの命題に答える方法は、ネット上という ”本棚” から、本達を取り出すことである。
 簡単そうに見えるだろう。
 たしかに、本を棚から下ろすことは簡単だ。

 ところがである。
 1冊目と2冊目、2冊目と3冊目などの、
 
本と本の間を結び付ける糸は、本棚から下ろした瞬間に、全て切れる
 もちろん、本から外部にリンクされた糸も全て切れる。
                   

 これは、何を意味するのか?

 「切れたなら、糸を紡げばいいじゃん!」と思う人もいよう。
 しかし、そんな簡単なものではない。
 もともと糸と糸が絡み合い、本と本同士が糸玉状態に絡み合っているのである。
 そのようなものを、皆さんは元に戻せるだろうか?

 また、取り出した本達は、ネット上では同じ本の名前で再登録できないルールになっている。
 全く別の名前の本として、生まれ変わらせなければいけない。
 ネット上から一度本を取り出すと、それを元に戻すには、恐ろしい時間と、努力と、労力が・・・
 つまり、
管理人のホームページは復帰不能に等しい。
 
 よって
 ホームページを一度閉鎖しろ ということは、 ホームページを壊せ  に匹敵するのだ。


   そんなことできるか!どあほ!

 もちろん、E出版社に閉鎖はできない意向を伝えたが、
 
相手は "閉鎖の要求をする事は、会社利益のための当然の権利" だと言ってくる。
 私が、どんな気持ちになるかは、想像できよう。
 怒りで胸が張り裂けそうになり、逆上してしまった。。。。悔しくって、悔しくって
  (・・・おそらく、これはホームページの運営者にしかわからないと思うが・・)

 結局、この出版社からは ”閉鎖” 以外の別提案も一切なく、相談の電話すら無かった。
 
 このままでは、執筆に取り掛かってよいものかもわからず、こちらから取引をお断りした。
 

 
ホームページは、 ”インターネット” という出版社の本である。
 私は、そこの作家だ。
 そこに今回のような
E出版社が来て、私に新たな出版を頼むとき
 ”当
E出版社の本が売れなくなるので、今売っているあなたの本の販売を辞めてください!”
 
と申し出る事は、出版業界では常識なのだろうか???
 
 ついでに言うと、今回の出版に対する報酬の話をすると、編集者は首をかしげる。
 本に対する企画書もない。
 城郭研究という学問は、まだまだ一般ランナーが走っている分野。
 素人がやっている研究なのである。
 そこへ、ちょっと名の知れた
E●●出版などが、「あなたの本を出したい」 と言ってくれば、飛びつく人も多いだろう。
 出版社は、自分の研究を公表したい城郭研究者を狙い、実質、
無報酬で本を書かせているのだ
 会社側でとりあえず適当な編集をし、出来上がった本を何人かに配ることで、「原稿料(見返り)」というわけだ。
 
なんとも人の弱みにつけこんだ卑劣なやり方ではないか。
 私はそれが嫌で、報酬のことを口にした。
 「一城、原稿料はおいくらですか?」・・・と。
 すると編集者は 「そんな事言われたのは初めてだ。」 と言う。
  ばーか!
 そんなの普通だろ!この糞編集者!
 今までずーーーっと、そんなやり方でE出版は本を出してきたんだと思う。
 我々も我々なところはある。
 しかし、どう見てもE出版社のやり方はおかしい。


 さて、どうしようもないこの怒りを、私がツイッター上で打ち上げたところ、その行動を非常識だという輩Sも現れた。
 彼がメールで言うには ”E出版社側に非は全くない” と言う。
     
カチン!と来た(`Δ´)!
 そのメール内容には納得できるものなど何も無く、すべてに反論があったが、・・・・辞めた。
 ”不毛なだけ” と思ったからである。
 
その輩はE出版社に謝罪しろと言ってきたが、何を謝ればいいんだろう????
 へ?
全くわからない
 輩には申し訳ないような態度をとりあえず示したものの、出版社には一切謝っていない。

 100歩譲って私が非常識だとしら、逆に、その私を非常識にさせたのは一体誰なのか? と私は輩に問いたい。
 もっと私の立ち位置に近い人物だと思っていたが、見事に裏切られた。
 幻滅だ。。。。
 その輩Sが、私のホームページの存在自体を、ずっと面白く思っていなかった事も今回の件でよ~~くわかった。
 
途中で読むのが嫌になる長文メールを送ってくる方こそ、本物の非常識である。(読んでないけど)

 
もうその輩とは、これ以上お付き合いする必要も無い。
 
 
また、これで仲間と呼べそう??な人が一名減った。
 全く私も人付き合いが下手である。
 こういう思いをすると、毎回城を辞めたくなる。

 でも私の恨み節は止まらない。
 こいつら一生許さない。
  



        

以下、よもやま話で作成した栃木県外の城の図面集です。

81◆兵庫県・丹波篠山城

81◆兵庫県・黒井城


80◆群馬県・江田城


79◆長野県・旭山城

77◆京都府・宍人城



76◆茨城県 ・ 雨引山城


68◆福島県 ・ 三森城


63◆茨城県 ・ 谷中城


59◆大分県 ・ 佐伯城




57◆大分県 ・ 岡城  




56◆群馬県 ・ 太田金山城



49◆三重県 津城



47◆長野県 龍岡五稜郭



46◆長野県 飯山城




42◆愛知県・吉田城




41◆岐阜県・加納城




40◆岐阜県・兼山城




33◆茨城県・萩原長者屋敷



27◆福島県・皮籠原の防塁




29◆三重県・松坂城




23◆兵庫県・但馬竹田城



24◆福島県 棚倉城



20◆群馬県・館林城




15◆佐賀県・木下延俊陣




14◆茨城県・多良崎城




12◆福島県・天神山城



10◆静岡県 掛川城 vol.2




1◆茨城県 逆井城